悉皆(しっかい)とは?

悉皆(しっかい)という言葉は恐らくほとんどの人は初めて耳にされる言葉だと思います。広辞苑を引くと、「みな」「ことごとく」と載っています。

町人文化が花開いた江戸時代に入ると、着物に自分の好みを 反映出来るようになりました。呉服屋さんで反物を買う一方、オーダーメード で着物を作るお客様が増えたのです。

「色はピンクで柄は蝶にして下さい。」「この着物の色が飽きたので違う色に染め替えて!」お客様のリクエストは様々です。その当時,それは立派なビジネスとして成り立っていました。染めの本場、京都に近い大阪で起業されました。  

このような仕事を 悉皆屋(しっかいや)と呼びます。今風にいうと<着物のプロデューサー>です。

悉皆屋(しっかい)とは?

 

 

【ちょっと為になる着物のお話】


●大正時代は、日本の転機になった時代です。東京駅の完成、そして周辺のオフィス街化が進みサラリーマンが増えました。

また、大正時代に入り、「職業婦人」という言葉も出来ました。日本女性解放運動も活発になり、与謝野晶子(詩人)、市川房枝(女性の政治参加の活動家)が牽引していきました。

デパートの店員、バスガール、カフェの女給さんが、女性の憧れの職業となり、三越、高島屋などのデパートが、一世を風靡しました。因みに、三越・高島屋などは江戸時代に、呉服屋として創業されました。

竹久夢二の絵画が大流行し、ファッションリーダーとしての役割を担いました。夢二は、少年少女の挿絵、資生堂、千疋屋の広告などのデザインも手がけました。夢二の絵に出てくる女性をマネて、<耳隠し>という、コテで髪にウエーブをつけ、両耳を隠して毛先を襟元でまとめた髪形が流行りました。

悉皆屋(しっかい)とは?

   

 

   令和3年 9月2日更新


●戦国武将たちは、着物の上に簡単に着れる「胴服」「陣羽織」「マント」を好んで愛用しました。特に珍重されたのが、南蛮伝来の羅紗(らしゃ)製でした。
黒澤明監督は、「乱」を撮影する為に、3年がかりで京都の古着屋さんをまわり、当時の裂を探したそうです。

武将の中でも、特にオシャレだったのが上杉謙信公と言われています。謙信公の経済力の柱は、「青苧」と「金銀山」でした。当時庶民は、「越後上布」など麻の着物を着ており、その材料の「青苧アオソ」を栽培し、京都へ出荷して莫大なお金を手に入れていたのです。

そして謙信公の末裔、上杉鷹山公は米沢で「紅花紬」など地場産業を奨励し、藩のピンチを救いました。

     令和2 11/12更新         *参考文献「上杉謙信と上杉鷹山」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

悉皆屋(しっかい)とは?